06/12(thu)、
翌日で吉祥寺バウスシアターでの公開が終了となる
『タカダワタル的ゼロ』をすべりこみで観て来た。
この日はとりあえず代々木で行われた
Amber Arrivalのライブに久々に訪れて、
そのライブの終了時点で
『ゼロ』の開演時刻まで既に1時間を切っていたので、
並走する自動車たちと熾烈なデッドヒートを繰り広げつつ、
青い稲妻号で青梅街道を西へ西へと激走したのだった。
さてさて、
何はともあれまずはこの新作映画について
僕が個人的に受けた
ネガティブな側面での印象を先に書いてしまおう。
正直に言って映像作品としての『ゼロ』は、
残念ながら前作
『タカダワタル的』のような
とんでもなくおもしろい作品(決して誇張ではなく
『タカダワタル的』は本当にめちゃめちゃにおもしろい。
観たことのある方は一様に同意してくださる筈だ)には
なりえていないと思う。
まあでも、これは当然といえば当然だろう。
前作『タカダワタル的』が、
そもそもの最初から「高田渡を主役に据えて映画を作る」という
明確な意図をもって、
ワタルさん本人と撮影スタッフが文字通り寝食を共にする過程で
収集されたふんだんな映像素材をもとに、
入念に編集された(というか、入念な編集が可能だった)
作品であるのに対して、
今回の『ゼロ』はワタルさんの死後に残された
わずかな未発表映像(もちろん、
それはそれでとても貴重なものなのだけれど)で紡がれた、
えーと、何と言うか、苦心の作?
あるいはある種の「おまけ」的なものとでも言うか、
まあ、そういった感じのものなので。
それに加えて、音楽屋の立場から言わせていただくと、
『ゼロ』のコアを成している
2001年の大晦日に行われたザ・スズナリ/下北沢でのライブは、
『タカダワタル的』で観られる数々のライブ演奏よりも、
クォリティ的にやや下回るといった感が否めないところも、
そういった印象にいささかなりとも寄与しているかな、と。
ま、そもそもすばらしすぎるんですけどね、
前作に含まれているライブのどれもが。
とはいえ、
やはりこうしてワタルさんが歌ったり
例の独特の語り口で話をしているところを映像で観るのは
とても愉しい。
『ゼロ』に収録されているライブ映像では、
唄の合間(というのは、
たとえば間奏とかのことですが)の共演者たちの演奏に
えらく真剣な眼差しをジッと向けるワタルさんの表情が
アップで捉えられているシーンがしばしば観られるのだけれど、
それがまたひどく印象的だった。
で、そのライブの中のひとつの目玉だった、
ワタルさんとは旧知の間柄である
泉谷しげるの客演は、
まあ想像通りというか、見事な盛り上がりを見せていましたね。
泉ちゃん、
ステージに登場した途端に
オーディエンスを罵倒しまくったり煽りまくったりと、
相変わらずの大サービスぶりだった。
この日にスズナリに集まったお客さんたちも、
まさか自分たちが
泉谷の曲を振りつけ付きで合唱させられることになるとは
思ってもみなかっただろう。
いやあ、あの場に居合わせなくてよかった(わわ、
ウソです、泉谷さん。居合わせたかったですよ。
いや、つい本音が…)。
ワタルさんのライブのクライマックスでの定番曲、
“生活の柄”の途中で、
「俺にもワンコーラス歌わせろ」とマイクを持ったものの、
いざ始めてみたらぜんぜんちゃんと歌えなくて
ものすごくバツの悪そうな顔をしていたのも
とてもおかしかったし、
開演前の舞台裏でワタルさんと顔を合わせて、
ワタルさんがその時点ではシラフ(あるいは、
シラフに近い状態)なのを見てとって、
安心した様子で「今日は大丈夫そうだね」と
穏やかに話しかけている姿も、ぐっと胸に迫るものがあった。
とまあ、ある種の苦言のようなことも書いたけれど、
もちろんこれはこれでなかなかおもしろかった。
また改めて観る機会があれば、
その時には今回とはちょっと違った印象を
受けることになるのかもしれないし(そういうことって
よくあるでしょう?映画にしろ、音楽にしろ)。
その内にDVD化もされるんだろうしね。
あ、8月にはまた都内(下高井戸)で上映されるそうだから、
そこに足を運んでみてもいいかもしれない。
そうそう、『ゼロ』の中の
ワタルさんが自宅から“いせや”に向かうシーンの中で、
道端に停めてある自転車を
「これ、ウチの」と指差してみせているのだけれど、
その自転車のフレームの色が僕の愛車と(たぶん)同色だった。
おー、ワタルさんちのチャリ(二輪ではなく三輪なんだけど)も、
青い稲妻号じゃないかと、内心でちょっとテンションが上がった。
ワタルさんはあれに乗って吉祥寺の街を走っていたんだろうか。
その姿を想像すると、ゆっくりと笑いが込み上げてきて
自分内元気のレベルが
目盛りひとつ分くらいは上昇したような気がしてくる。